※photographs by Hiroshi Seo

菊池 武夫
1939 東京生れ
1964 注文服の制作開始
   資生堂、カネボウ、東洋紡、東レなどの
   コマ−シャル用コスチュ−ムデザインを手掛ける
1972 (株) BIGI設立
1984 (株)ワ−ルドに移籍 メンズブランドTAKEO KIKUCHI発表
1991 TAKEO KIKUCHI TAILOR-MADEを開始
1996 TAKEO KIKUCHI TAILOR-MADEをリニュ−アル
   新たに<TEXT>として展開
   TAKEO KIKUCHI GENTLEMANを発表
   時計、バッグ、眼鏡等のデザインでも活躍中


●FASHIONの先端を生きる、彼にクラブカルチャーをインタビュー!!
昔はジャズ喫茶みたいなものが多かった。場所は今と変わらず、やはり新宿、港区などにアンダーグラウンドカルチャーの発信地は蠢いていた。
人々はファッションを強く意識していた時期で、クリエイティブな人々がそこには多く集まっていた。今思うと、繁華街はジャズ喫茶からディスコ、カフェバー、クラブと変わってきた様に感じられる。

●FIRST CLUB は?
クラブと言うより、ディスコかジャズ喫茶。それも沢山ありました。中でも一番楽しく思い出にあるのは、赤坂にあったママ、ヨヨ、ビブロス。音楽感はソウル、ロックを中心にその当時流行の曲がかかっていた。
その当時DJは、ディスコだけではなくジャズやソウルなどのDJが、今で言うバースタイルで、踊る曲以外でもレコードミックスしていた。
ファッションは、当時ロンドンブーツ(10cm〜12cmくらいのかかとの高さ)を、その上にパンタロンを履きディスコへ行く(背が高い、ジョップリンだ!)。
ディスコで遊び疲れ帰宅すると、自宅は土足あたりまえ。なぜ?そりゃ当時はパンタロンをまくり、ブーツを脱ぐまで長い時間がある(脱ぐのがめんどくさい)。そんな感じ。
自宅でファッションと自己の現実!もうディスコへ戻りたくなる…そんな毎日が続いた。当時ファッションデザイナーやそれらのクリエイティビティーを持って生きる人々は挙ってディスコへ集まって来る(今と何ら変わりはないと感じますが?)。
時代(今)の楽しさを求め、新しいものを求め、そんな気持ちは誰でもありますね!

●クラブへ毎日の様に行く若者へ一言
CLUB歴の長い人生は個人の生活レベルの破局を迎えるかもしれない。
でも自分がどういう生き方があるのか理解し、今をめいいっぱい生きる。いつもベストの体調で、いつも笑顔で満足感を感じられれば、我々は生きて行けるだろう、と考えるネ!

皆、当たり前に将来の不安有り、明日のアフターアワーズあり、これまた横目でテキーラあり(レモンちょうだい!)のクラブ人生なのだろうか。
今でもクラブへ行く、武先生はこう語る。
CLUBへ行くには3つの要素がある。
○人に会いにゆく(友人またはこれから友人になりえる人に会うため)
○音楽を聴きに行く
○酒を飲みに行く(語らいとリラックス・幸せ)という事。
まあ、簡単に言うと音楽を聴き、友と寛ぎ酒を飲むとなるのだろうか。
武先生のファッションは人々に常に新しい社会性を与えてくれる。
洋服の色や型だけではなく、着る人の人間性(着たときの気持ち)までも意識させ時を感じさせてくれる。ただクラブへ行きヒューマンウオッチングするだけでなく、人々を自然に受け入れ、そのなかからファッションとして必要なものを見い出しているのに違いない。
彼のファッションコミュニケーションはそこを拠点にして生きているのだろう。

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